ラオコーン像
誰もが一度は何かで目にしたことはある有名な石造。
私が初めて見たのはイタリアのフィレンツェだった。
1998年、ウフィツィ美術館
でもこれはレプリカだった。
本物はローマのヴァチカン美術館にある。
フィレンツェの後に訪問した。
これが本物。
ウフィツィのと比べると、違いがわかる。
ラオコーンの右手の角度が違うのだ。
実は、この右手は後から発見されて繋がれた。
それまでなかった右手は、想像で作られたものだったのだ。
それがウフィツィのラオコーン像レプリカ。
それから約20年後。
再びラオコーン像を見る機会があった。
それはイタリアではなく、ギリシャのロードス島だった。
ロードス旧市街の騎士団長の宮殿にラオコーン像はあった。
なぜ、ラオコーン像がロードスに?
いまさらながら疑問に思い調べたら「ラオコーン像」を作ったのはロードス出身の3人の彫刻家だったからだということを知った。像の台座の銘文にアゲサンドロス、ポリュドロス、アタナドロスの3人の名前が刻まれている。
なるほど。
異なる場所で見た一つの像がこうつながるとは。
面白いなと思った。
旅が終わった後も、旅を深めてまた楽しめる。
ラオコーン像概要(AI解説)
「ラオコーン像」(Laocoön and His Sons)は、古代ギリシャの神話を題材にしたヘレニズム期の大理石彫刻で、ラオコーンというトロイアの神官とその息子たちが海蛇に襲われる姿を描いています。1世紀頃、現在のギリシャまたはローマで製作されたとされるこの像は、ミケランジェロをはじめとする後の芸術家たちに大きな影響を与えました。
1. 神話的背景
- ラオコーンはトロイアの神官で、トロイの木馬がギリシャ軍の策略だと見抜き、警告を発しようとします。怒った海神ポセイドン(またはアポロン)がラオコーンを黙らせるため、巨大な海蛇を送り、ラオコーンと彼の二人の息子を襲わせました。ラオコーン像は、この恐怖と苦悶の瞬間を見事に表現しています。
2. 彫刻の特徴
- 構成: ラオコーンと二人の息子たちが絡みつく蛇に苦しむ瞬間を描き、力強い筋肉の動き、恐怖の表情、緊張感がリアルに表現されています。
- ヘレニズム美術の特徴: ラオコーン像は、躍動感や感情の表現が特徴のヘレニズム美術の代表作で、観る者に強い感動を与える精緻さが見られます。
3. 発見と影響
- 1506年、ローマのエスクイリーノの丘で発見され、ローマ教皇ユリウス2世の命でヴァチカン美術館に収蔵されました。その劇的な表現は、ルネサンス期の芸術家たちに多大な影響を与え、人体表現の極致と称されています。
ラオコーン像の修復について
「ラオコーン像」は、1506年にローマのエスクイリーノの丘で発見されたとき、右腕などいくつかの部分が欠けている状態でした。このため、発見後すぐに修復が始まりましたが、修復にはさまざまな試行錯誤がありました。
初期の修復(16世紀)
- 発見時に欠けていた右腕については、16世紀にミケランジェロも加わって議論が行われました。当時、彼は右腕が後方に反り返るように配置されていたと推測しましたが、別の修復師は伸ばした形の腕を作り、付け加えることを選びました。
- その後、ラオコーン像はこの修復された姿で展示されましたが、当時の技術では完全な修復は難しく、部分的な補修がされただけでした。
20世紀の修復
1957年、考古学者によってラオコーン像の本来の右腕の断片が発見されました。発見された右腕は曲げた状態で、当時の彫刻家たちが推測していた「伸ばした腕」ではなかったことがわかりました。これにより、古い修復の腕を取り外し、元の腕の断片を用いた修復が行われました。
現在の展示
現在の「ラオコーン像」は、元の右腕の断片をもとに再度修復され、よりオリジナルに近い形でバチカン美術館に展示されています。この修復により、当初の彫刻家たちの意図に忠実な姿で鑑賞されるようになり、劇的なポーズや緊張感がよりリアルに伝わるようになりました。
こうして「ラオコーン像」は何世紀にもわたって修復が繰り返され、そのたびに技術と理解が進歩して、より本来の姿に近づいてきたといえます。
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